黒船、受けて立つぞ!|継田ブログ
1833年江戸の末期
アメリカの司令長官ペリーが軍艦4隻を率いて
浦賀(神奈川県)にやってきました。
アメリカの大統領の手紙を待ってきたのです。
手紙にはこう書いてありました。
アメリカの船に石炭や食べ物を売ってほしいと・・・
日本と仲良くして貿易がしたいと・・・
手紙にはやさしく書いてありましたが、
日本の大砲と比べものにならない
すげー大砲をそなえた4隻の軍艦できてるわけですから、
はっきり言って ”おどし” です。
そんなことで幕府は、すっかりおじけづいてしまいました。
アメリカだけではありません。
イギリス、フランス、オランダといろいろな国の黒船が ※黒船…外国船のこと
日本にやってきて、開国をせまったんですね。
そんなこんなで江戸がびくびくしていた時、
水戸藩第9代藩主徳川斉昭は、異国船を打ち払うための
大砲を製造することにしました。
ひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅にある
那珂湊反射炉跡です。
1864年元治甲子の乱の戦火のなかで焼失崩壊しました。
現在、茨城県指定史跡に指定されているのは、復元されたものです。
追記 写真が添付できませんでした。
大変申し訳ありません。
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